君主道徳・奴隷道徳から学ぶカッコイイ人とダサい人

鈴木カンタローです。部屋の空気を入れ替えました。

 

カッコイイ人からカッコイイと思われたいので、筆者がカッコイイと思う人の共通点を考えてみました。

考える上で参考になったのがニーチェの君主道徳・奴隷道徳」の概念です。

君主道徳の特徴は自己肯定、傲慢、主動であり“強くなれば思い通りに行動できる。だから強いことは良い。自分を弱くするものは悪だ。”と考え、奴隷道徳は自己否定、謙遜、慈悲で“強い者は自分勝手に振舞う、だから強いことは悪い。そしてその反対の弱い者は正しい。”と考えます。

このように君主道徳はニーチェの言う「高潔社会の人間」が持ち合わせているもので、ほぼすべての人間は良くなく、強くなく、金持ちでもなければなんの取り柄もありませんので奴隷道徳を持ち合わせています。感情のもちかたによってはそうでない場合もありますが基本的にはそうです。

 

 

君主道徳がカッコイイ

さて、結論から言うとこの君主道徳を持つ人間がカッコイイと思っているのですが、それはなぜかというのを端的に説明したいと思います。

まず、君主道徳を持つ人間には信念と自信があります。それは自らのステータスや実績、経験から成り立つもので、それが強い人ほど日常的に君主道徳を保てます。球技経験者が球技大会でかっこよく見えるのはそのとき信念と自信があるからなんですね。

そして彼らは集まれば互いに切磋琢磨し合い、強き者はより強く、賢き者はより賢くなります。

しかし奴隷道徳の持ち主はどうでしょうか?彼らが蔓延すれば弱い者が互いにけん制しあって、強い者が生まれないよう努めます。また他者優先の価値観も聞こえはいいのですが、それが絶対化すると、誰もが自分のために生きることを許されなくなって窮屈になります。そうした社会では人間は弱く卑しい存在になってしまうのです。

テロリストを叩かずベッキーを叩く奴隷道徳

強い者は悪い、金持ちは悪い、モテるのも悪い、かつては憧れていた存在を、奴隷道徳社会は叩くのです。テロリストのほうが悪いことをしているのに罪にも問えないようなベッキーを叩くのです。醜くないでしょうか。

君主道徳を強くもつ人々は高潔な社会をつくり彼らで集います。逆もまた然りです。

あなたのまわりを見回してください。カッコイイ人はいるでしょうか。また、自分を省みてください。あなたはカッコイイでしょうか。どちらを選ぶかは自分次第です。

 

この記事を書いた人

鈴木カンタロー

札幌南高出身 JKMorningというサービスをつくりました。@jkmorning http://jkmorning.com IT屋さんとかPR屋さんとか。拡販コンサル個人でやってます。アフィリエイターやってました。 サンデージャポン出演(第1位)