スタートアップの光と闇。22歳にして5000万円を資金調達した男の1年。前編

「学生のうちに起業しよう!」とか「スタートアップでインターンして成長したい!」みたいな学生が増えてきてますよね。確かにスタートアップは成長できそうです。苦労も楽しめそうだし、 上手くいけばめちゃくちゃお金も手に入ります。でも、輝かしいところばかりが目立っている気がするのです。
22歳にして5000万円の資金調達を行い「ミチシルベ」という会社を起業した金田卓也さん。

金田さんから許可をいただきまして、金田さんのFacebookの投稿を掲載させていただきます。
スタートアップに関心がある学生はぜひ一読ください。

※Tobiraはスタートアップを応援しますし、学生起業も大賛成です。スタートアップを批判するための記事ではないことをご理解いただければ幸いです。

金田卓也プロフィール

1992年9月18日京都府舞鶴市生。
慶応義塾大学経済学部在学中。小学3年生の時に、父親の病死により、母子家庭となる。
家計を支えるため中学1年から始めたアフィリエイトにより数千万円を売り上げ、マーケターとして活躍。
18歳当時日本最年少でのGoogleAdwordsの認定パートナーとなる。2013年にミチシルベ㈱を創業。
2015年に事業売却し、更なる飛躍のためにベルフェイス社のマーケティング責任者として参画。

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18日で23歳になりました。

22歳の一年(厳密には2014年3月から今年の2015年3月の一年)は本当に波乱万丈でした。スタートアップを起業し、多くの仲間やに支えられ、この歳で5000万という大金を投資いただき野心に燃えて事業に邁進してきましたが、自分の人としての器の小ささ、経営者としての未熟さから、結果的には事業を大失敗させてしまいました。虚栄心が強すぎ、ずっとFacebookにも投稿していませんでしたが、様々な学びを経てやっと自分の弱さを認められるようになりました。ということで僕に人生を賭けてくれた仲間たちへの懺悔も兼ねて、去年を振り返ってみようと思います。

中学生からの10年間ほどをずっと個人事業主として駆け抜けてきた中で、母子家庭を支援する財団を作る(ための金を稼ぐためにまずは会社を作って最年少で上場する)という目標を達成するために旗揚げをしようと決意したのが昨年の1月。東京に出て知り合った友人達に声をかけ東中野の一軒家で会社を創業しました。

当時手がけていた事業は、課金をベースとしたソーシャルゲーム的要素を持ったアイドル分野のWebサービスでした。今となってはDMMやその他大手企業が同種のアプリを以って参入したホットな市場ですが、そのアイデアの(調べた限りでは)一番最初の原形を作ったのが僕達の会社でした。

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スタートアップらしい連日の徹夜の中でサービスをリリースしたのが6月。コンセプトがうまく受け入れられたことでユーザーは爆発的に増え、月末にはサービスがダウンするほどの盛り上がりを見せました。これまで、アフィリエイトやコンサルなど形はどうあれ人様のビジネスを手伝うことしかしてこなかった僕が、はじめて自分の手でサービスと呼べるものを作って世の中に提供し、それが受け入れられたことは無常の感情でした。

そんな中で迎えた7月、サービスのさらなる成長のために資金調達に走り回っていた中、僕の理念に共感し、また最年少で上場するという大ぼらに賭けてくれる一人のエンジェル投資家があらわれました。今となって投資家から聞いた話ですが、周りから「あの会社は絶対に失敗する」と言われていたにも関わらず、人間として応援したいという思いから事業ではなく人に投資するということで、なんと5000万もの大金を投資していただけることになったのです。

通常、スタートアップといえば自分たちが描く未来のビジョンを達成するための手段(サービス)を作り、そのサービスが受け入れられるかの仮説を検証しながら事業を斬新的に進めていきます。

僕達も本来であればこの段階では小額の資金を調達しながら、着実に仮説(課金収益が生まれるのか)を検証していくタイミングだったわけです。仮に巨額の資金が入ったとしても、資金は会社の命そのものでありあればあるだけ使えばいいというものではなく、ミニマムのチームで粘り強く仮説を検証し、ビジネスモデルが確立したタイミングで成長ドライバーに資金を投入するべきでした。

しかし、このタイミングで僕は経営者として大きな過ちを犯しました。事業のコアとなる価値はなにか、ビジネスモデルが機能するか、この2つの仮説の検証が十分でなかったにも関わらず、サービスの初速が良かったことからコアとなる価値は検証されたと錯覚してしまったのです。

さらに、収益の土台となると見込んでいた投票課金に対しても、前段階となる無料投票が何十万票と動いていたことから、他のソーシャルゲームの課金率を参考に「この無料投票の1%程度は有料ユーザーに転換される(から大丈夫だろう)」と当然のように思いこんでしまったのです。

当時の僕は、自分の過去の経歴、そしてこの年・この規模の会社で周りの同年代のベンチャーからかけ離れた規模のお金を調達したことで心底天狗になり、「俺は天才だ、2年後にはIPOもできる!」と完全にのぼせ上がっていました。

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そこから2ヶ月、5名で始めた会社はあっという間に関わる人が10人になり、20人になり、9月には30名に迫る勢いになっていました。完全にうまくいくと思い込んでいた僕は、大量の人材を採用し毎月500万以上の赤字を垂れ流しながら”まだ課金が生まれるかもわからない”サービスの開発に資金を投下しつづけました。

21歳の時には人様の会社で偉そうにコンサルしていた自分が、「5倍の人を雇えば開発速度は5倍になる」というトチ狂った考えで人の採用を進め、急激に膨らんだ組織は僕の考えとは裏腹に、意思決定が複雑化し、思っていたように人を扱うこともできず、徐々に開発速度は停滞、コミュニケーションの不和が発生し、崩壊の兆しを見せ始めていました。

これまで10年近く一匹狼でやってきて、マネージメントのマの字も知らずにこんなことをすれば当然といえば当然なのですが、僕は自分が誤ったことをしているとも考えられず、また膨れ上がった自尊心と虚栄心から、先輩社長たちに相談するということすら頭に浮かばずに唯我独尊で成功すると信じて経営を推し進めました。

腐ったりんご(システム)の中にりんご(人材)を投入したら、良いアウトプットはでないことはもちろん、人材の才能を殺してしまう。

今思えば、当時の僕は歪みきった会社(システム)の中に優秀な人材を押し込み、むちゃくちゃに振り回し、彼らの人生の時間とやる気を吸い取る拷問のようなことを強いてしまっていたわけです。

そんななかで、初めて「ビジネスモデルの検証もできていないのでは?」と気づいたのが秋も深まり始めた9月下旬。課金を実装した結果、収益は予想していた売上からは程遠いものでした。

ビジネスモデルがうまくいかないということがわかった時点で、賢明な経営者であれば組織を縮小し、改めて0ベースで検証をしていたでしょう。

しかし、すでに5000万のうちの半分以上を使ってしまっていた中で、僕には自分のサービスが間違っていたのでは?という現実を受け入れることができず、もはや夢物語となった事業計画を「なんとか現実させなくては、いやさせるしかない」と、投資を縮小することもできずにすがるような気持ちでサービスの開発を続けました。

しかし、うまくいかないとわかっているビジネスモデルに投資を続けることで僕自身、かつての自信や情熱をもって取り組むことが次第に難しくなり、また夢物語で発破をかけてきたメンバーにも日に日に疲労の色が見えはじめ、組織の不和は頻発するようになり、ついには心身を病んでしまう者もでてきてしまったのです。

そんな明日も見えないドロドロの状況の中で、決定打となったのが11月にロンチされた競合他社のサービスでした。その分野に対して情熱を持ったCEOを筆頭に、圧倒的に洗練されたサービスにユーザーの多くが集まり、初月から僕達がまさに想定していた夢物語以上の売上を叩きだしていったのです。これを見て、完全に心が折れてしまった自分は、これ以上サービスを続けるのは不可能と判断し、12月にはサービスをクローズすることを決定しました。

ここまで半年間多くのメンバーの、まさに血の滲むような努力によって生み出されたサービスが、僕の至らなかった経営判断、そして心の弱さによって一瞬に崩れ去った瞬間でした。

そこから年明けにかけて数々の残務処理を行った末、多くのメンバーは会社から離れていきましたが、一部の志をともにしてくれた仲間はこんな絶望的な状況にも関わらず僕と一緒に何かをやることに対して価値を感じて会社に残ってくれました。

資金の大部分はすでに消えており、投資家に対しても顔向けもできず、いたずらに時間だけが過ぎていく中で、「ビジョンを示さなければ」「残ったメンバーになんとか夢を見せなければ」と考えども、会社のミッションや僕個人の理念もすでに形骸化しており、自分自身がもはや何のためにこの会社をやっているのか全くわからず、ただ「残った資金で一発逆を狙わないと」という謎の責任感だけで、競合他社がうまくいったサービスをかじっては断念するような迷走が2ヶ月づきました。

そんななかで迎えた3月、多くの優秀なメンバーが新たな可能性を求めて会社を去って行きました。もともと会社にジョインしていたメンバーの多くは優秀で引く手あまただったこともありますが、僕自身がこのどうしようもなくなった会社に一緒に残ってくれ。また僕に賭けてほしい と言えませんでした。

そんななかで最後の最後まで献身的に残ってくれた仲間に対しても、いつ居なくなってしまうのだろうという疑心暗鬼の気持ちは消えず、一緒に夢を見たいという気持ちが夢を見せなくてはという義務感に変わり、一緒にやっていくことが次第に重圧に変わってしまった中で、当時の僕は仲間に対して正直に辛さを打ち明けるどころか、切り捨てるような最低最悪の形で袂を別ってしまいました。

そんな形で、1年間走り抜けた会社は、友人の絆も投資家の信頼もすべてを損なうような膜引きで一旦の節目を迎えました。

もちろん4月以降もまた再起を図ろうともがき苦しみ続けてはいます。昨年よりは様々な面で確実に成長したこと、多少なりとも会社経営というものがうまくなったことは肌で感じることも多くありますが、それはそれでまた23歳の1年ということで振り返るときに譲ることにします。

この場を借りて僕が言いたかったことは、僕の夢や僕という人間に対して可能性を感じ、そして賭けてくれた多くの人達に対して、「本当に申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました」ということです。全ては経営者として、人間としての僕の不徳の致すところであり、人生の貴重な一瞬を賭けてくれたことに報いられなかったことは本当に残念でなりません。

特に、創業当時から慕ってくれ、そして最後の最後まで残っていた一番気心の知れた友人に対しては、自分の弱さを認めることができず、自己欺瞞の都合の良い言い訳と共に恩を仇で返してしまったことに今でもずっと後悔を感じており、またいずれ面と向かって心から謝りたい、そして同じ過ちを繰り返さず人として誠実に生きていくことが自分にできる贖罪だと思い、これからを生きていきたいと思っています。

まとまりなく、また推敲もしていないので、思ったことを垂れ流しになってしまいましたが、人生でも最大といっていい激動の一年でした。これから先どうなるかはまだわかりませんが、23歳となるこの年は、学んだ多くのことを無駄にせず、周りの人に対して、事業に対して真摯に向き合う1年にしていきたいと思います。

金田卓也Facebook 2015年9月18日の投稿より

後編はこちら

金田さんの連絡先はこちら(金田卓也 Facebook)

https://www.facebook.com/KanedaTakuya

この記事を書いた人

Tobira Official

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